自己観測ブログは何処へやら。出てくる言葉をつらつらと吐き出します。そりゃ、誰の得にもならない文章でしょうけれども私は現在の思考を書き留めたいと思った今現在の私を大切にしたいなと。うつ病ながらそう思えたので私はタラタラと書きます。もし何かの拍子で訪れて不快な思いをさせてしまったとしても謝りません。それはあなたの責任なのだから。
!注意!
かなりうつ病が酷いため、陰鬱な表現が含まれています。
こんにちは。
桜の花も散り、暖かさと寒さが入り混じる安定しない時期4月も半ばとなりました。
気候の変動に影響を受けやすい私にとって、とても過ごしにくい日和です。
先週あたりから、抑うつ症状が強く、なかなか元気が出ません。
体の重み、背中の張り。辛いですね。
何を考えようにも頭はぼーっとしてしまい。
体は動かず。希死念慮に追われる日々を負っております。
この前の木曜日、バイト中に息苦しさと集中力の低下に襲われ、うまく動けないことがありました。
バイトだけは、なんとかこなしていたのに上手に動けなかったのはかなりショックでしたし、同じ時間に入っている人に迷惑をかけたなと反省をしています。
今もとても辛いです。
死にたいです。
もう自分には何もできないんじゃないかという気がしてたまりません。
なんかいろんなことが頭をぐるぐる駆け巡って、もう全部どうでもいいです。
悲観的な誤った認識と、それを反芻してしまう思考に問題があることは理解してるつもりなんですけど…。
自分の考えに自分で飲まれてしまうのが本当に良くないみたいですね。
この苦しみが永遠に続くかのように感じてしまうけれども、それは事実ではないことに気がつけなくなってしまう。
少なくとも、この精神状態で思いつくことがまともな考えであることはないでしょう。
論理が出鱈目なのだから。
うつ病患者の世界に対する認識はとても歪んでいる。
どうしてこんな風になってしまうのかは、その人物の生まれ持った性格と、生活環境による人格形成が関係してくると思う。
自分の思考に飲まれてしまうのは、自己表現がとても苦手だからだと思う。
私は、キャッキャと騒ぐような子供ではなかったらしい。確かにそのような記憶もない。
大人しくて聞き分けのいい、お利口さんだった。
大人は皆褒めるので、それが正解なのだと思ってた。
親が神様のような絶対的な存在である時期を経て、自我を強く感じ始める思春期になるとその感覚に違和感を感じ始める。
私はなぜ中学で不登校になったのか。
人はきっと、この時の違和感を経て大人になるのに、私は違和感を超えられず、その線の上を行ったり来たりしているのだと思う。
誰かにとって都合のいい人になるのが得意だった。
自分のしたいことを前面に出して主張するのは苦手だった。
犬のように、従順で人に対して優しくしたり、するのは得意だった。
ああああああああああ、嫌だ。
学校に行きたくない。
人に会うのが怖い。誰かに自分の表情を見られるのが怖くてマスクをつけてた。
めんどくさい。死にたい。成績は悪いし。もういや。
こんな感じだった。
他人の顔はとても気にした。
もっとしっかりしなきゃと完璧主義だったけど、何ひとつうまくいかなかった。
あの時も今も、辛い。
辛いことは変わらない。
でも、こうやって書いたりできるようになった。
自分でバイトしてお金を稼げるようになった。
そのお金で、自分を病院に連れて行ったり、いい方向へ導こうとしてる。
昔より、自分主体で生きれている。
自己表現のためにギターを買ってみたり。
体力をつけるために公園で運動してみたり。
運動するにあって現在の状況を知ろうと、スポーツ人間ドックを受けてみたり。
その結果を見て、ストレッチをしっかりしようとしてみたり。
昔できなかった勉強を改めてやって自信をつけようと、不登校の人のために塾に通う手続きをしてみたり。
色々言っても、自分は前に進む努力をしている。
とんでもなくしんどい時は、今も過去も未来もわからなくなるけど、
でも、日々何とかしようとして生きてる。生きているということはきっとそういうことなんだと思う。
無駄な1日を過ごしてしまったとしても、大丈夫。
また少しずつ体勢を立て直せばいい。
今日のバイトだってうまくいかないかもしれないけど、うまくいくかもしれない。
最近連絡を取っていない彼女に連絡したら、嫌な対応されるかもしれないけど、そうじゃないかもしれない。
何れにしても、寝ていても起きていても、苦しんでいても楽しんでいても。
私は私でしかない。
良くも悪くも私なのだ。
今日も明日も私なのだ。
論理とか気にせず、ひたすら気連ねたけど、かなり楽になった。
間違っていることがたくさんあるだろうけど、いいと思う。
誰にも言えない気持ち、考え、感覚を、書くことが解放につながっているんだろう。
今日もこのあとバイト。4時間。
気を楽にしてやってこようと思う。
もしここまで読んだ人がいて、何か思い詰めるものがあるなら、このように湧き上がる言葉を書き連ねてみるといいかもしれない。
固まった頭が少しだけ、自由に動くようになる感覚が私にはあった。
私は、また書いてみようと思う。
パソコンがあれば。紙と鉛筆があれば。